また他の方のブログ記事の話題です。食が進まない子供に対し色々と工夫をして何とか食べてもらおうとするも、子供は全く料理に手を付けず、白米だけは完食するという日々の筆者。保育園の先生から、「食べる・食べない」は子供の課題と言われ、胸が軽くなったという話です。
10年近く前に読んだベストセラーの「嫌われる勇気」を思い出しました。アドラー心理学では「課題の分離」という考え方をします。人は馬を水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。飲むかどうかは馬が決める、というものです。誰の課題かは、「それをしなかったら誰が困るか」を考えれば良い。水を飲まなければ困るのは馬なので、それは馬の課題ということです。そして誰の課題かをしっかり分離して、その課題に他者は踏み込まないと。
子育てにおいて、それは親の課題なのか、子供の課題なのか。これは親のメンタルにとってとても大事なことではないかと思います。例えば子供が宿題をしない。これは誰の課題なのか?宿題をしなくて困るのは親ではなく子供です。宿題をしないと成績が伸びない、先生に叱られる(親が叱られる可能性もゼロではないと思いますが)。なので、子供が宿題をしようとしまいと親は関係ないと。でも親としては心配になります。心配するのは親の課題です。それと子供の課題である「宿題をする」というのは混同してはいけないと。
…何となく理解できますが、なかなか府には落としづらいなと感じます。
とはいえ私も長男とのやりとりで「課題の分離」を実施していることはあります。例えば長男がなかなかお風呂に入ろうとしない、そのため就寝時間が後ろ倒しになるといったケースです。次の行動に移せず私にはとてもストレスが溜まるのですが、寝る時間が遅れて困るのは正直長男なので、「これは長男の課題」であり責任は長男がとる。私にできるのは長男を風呂場や寝室に連れて行くこと、と考えています。
いずれにせよ親ができる範囲をしっかり見極めて、そこまでは最大限頑張る。それ以上は頑張らない、気にしない、というスタンスで親の精神衛生を守っていきます。
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